

私の出身と私の人生
こんにちは、私はネパール出身で、その美しい自然が大好きです。特に、エベレストを含むヒマラヤ山脈の新鮮な空気は、心を穏やかにします。そして、日本に来て出会った子猫の無邪気さに癒され、その後はふわふわした動物が大好きになりました。
日本食が好きで、一蘭ラーメンの10辛や秘本の焼肉は特にお気に入りです。他にはパスタやピザが好きです。
日本の安全性と清潔さ、そして人々のマナーと思いやりに深く感銘を受けています。これらを学び、自分も取り入れていきたいと思っています。
詳細
私はネパール出身で、子供の頃からお花が大好きで、花を見ると心が落ち着きます。 ネパールはエベレスト山を含むヒマラヤ山脈が広がる国で、自然に触れることは私の母国でも好きな活動でした。山々の壮大さと新鮮な空気は、何にも代えがたいものです。 また、動物への愛情も人一倍です。ある日、お店の前で出会った小さな猫に心を奪われて以来、その無邪気な行動に癒されそれ以降SNSなどでふわふわの動物を見ると癒やされるようになりました。 食べ物については、日本食全般が大好きで、特にラーメンが一番のお気に入りです。辛いものが好きなので、一蘭ラーメンの10辛を食べるのが楽しみの一つです。また、焼肉も特に好きで、秘伝の焼肉のタレの美味しさにはまっています。 ピザやパスタも好きで宅配ピザをオーナーが頼んでくれる日はワクワクします。日本の好きなところは、何と言ってもその安全性と街の清潔さです。夜遅くても一人で歩くことができる安全な環境や、誰もが自分の役割を理解し、街を美しく保つために協力する様子には、本当に感動します。 そして、日本人のマナーの良さや、お互いを思いやる心遣いには尊敬の念を感じています。その精神を学び、私自身もその一部になれるよう、毎日努力しています。

The Passions I Cherish
究極のリラクゼーション: アーユルヴェーダとCBDオイルによる特別なドライヘッドスパ
DiosaDreamHeadでは、インド伝統のアーユルヴェーダの知識と厳選したCBDオイルを用いた、他にはない特別なドライヘッドスパを提供しています。この施術は、頭皮や髪に優しく触れることでリラクゼーション効果を促進し、心身の疲労を和らげるものです。また、静かで落ち着いた環境を整え、幻想的な照明を使用することで、まるで宇宙を旅しているような非日常の空間を演出しています。ここで過ごす時間が「自分へのご褒美」となるよう、心を込めて施術を行っています。
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私、Kalonが担当するDiosaDreamHeadのドライヘッドスパでは、アーユルヴェーダの知識とCBDオイルを活用し、頭皮ケアを通じて心地よさを提供することを目指しています。頭部への繊細なタッチにより、リラクゼーションやストレスの軽減が期待できます。また、お客様一人ひとりの体調やその日の状態に合わせて施術をカスタマイズし、心地よさを最大限に引き出します。
施術室では、深い青や紫を基調とした特別な照明を使用。幻想的な月の光をイメージした演出で、日常から離れたリラクゼーション体験を提供しています。この空間の中で、お客様は完全にリラックスし、心と体のバランスを整える時間をお楽しみいただけます。
DiosaDreamHeadのドライヘッドスパは、単なるケアではなく、お客様が心身をリセットし、特別なひとときを過ごすためのものです。触れることで生まれる癒し、高品質なCBDオイルの効果、そして丁寧な施術が組み合わさり、究極のリラクゼーションをお楽しみいただけます。
私の目指すのは、DiosaDreamHeadで過ごす時間が「自分へのご褒美」となる特別な体験であること。お客様お一人おひとりに合わせた心のこもったサービスで、期待を超える時間をお届けすることです。
私たちのサービスがお客様の日常生活にリフレッシュと癒しをもたらすことを心から願っています。お客様の声や笑顔が、私たちにとって何よりの励みであり、成長の原動力です。これからもお客様に満足していただけるよう、技術を磨き、心を込めたおもてなしを提供し続けます。
DiosaDreamHeadでお会いできる日を心より楽しみにしています。これからも、KalonとDiosaDreamHeadをどうぞよろしくお願いいたします。
手に職を…究極のリラクゼーションを追求したスクール
私が講師を務めるDiosaHead Spa Schoolでは、ドライヘッドスパの技術とインド伝統のアーユルヴェーダを融合させた特別なリラクゼーション体験を提供しています。この技術は、頭皮と髪への優しいマッサージを通じて、血行を促進し、抜け毛や薄毛が気になる方への頭皮ケアをサポートし、美しい髪を目指すお手伝いをいたします。また、ストレスや疲労を和らげ、心と体のバランスを整える効果が期待できます。
当スクールでは、ドライヘッドスパを基礎から応用まで丁寧に指導しています。初心者でも安心して技術を学べる環境を整えています。また、既にプロとして働いている方がスキルアップを目指すためにも適した内容を提供しています。正しい技術を身につけることで、家族や友人の健康を支え、自信を持って施術を行えるようになります。
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さらに、アーユルヴェーダの知識を取り入れることで、体の仕組みを深く理解し、不調を未然に防ぐ方法を学べるのも当スクールの特長です。健康と美しさを両立させる知識は、自身の生活にも大きな支えとなります。。
スクールでの学びは、健康や美容のためだけでなく、自分自身の収入源として活用できる可能性を秘めています。自宅サロンの開業や副業の選択肢を広げることで、生徒一人ひとりが新しい未来を切り開けるようサポートすることが、私たちの役目です。
ドライヘッドスパを通じて、私は単に技術を教えるだけでなく、生徒さんたちが自己成長し、お客様に特別な癒しを提供できるよう全力で支援します。この技術は、私自身の情熱そのものであり、心身の健康を追求するための重要な一歩です。
DiosaHead Spa Schoolでは、お客様と生徒、そして私たち自身も癒しながら、より豊かで幸せな未来を築くことを目指しています。心身ともに健康で美しく、自分らしい未来を切り開くお手伝いをすること、それが私たちのスクールの願いです。
心と体を満たす特別な一皿
Café De La Diosaでは、ただの食事ではなく、心と体を満たすための特別なひとときを提供しています。一皿一皿に込められた想いを大切にしながら、インドとネパールで学んだ伝統の味を守りつつ、日本のお客様に合った独自のレシピを開発しました。
厳選された新鮮な食材と香り高いスパイスを使用し、手間を惜しまず調理することで、深い味わいと健康を両立しています。カレーの種類ごとにベースを一から作り、素材そのものの味を最大限に引き立てるため、小麦粉や余分なつなぎは一切使用していません。ナチュラルで体に優しい仕上がりを追求し、お客様に安心して楽しんでいただける料理を提供しています。
また、自家製ヨーグルトで丁寧にマリネしたタンドリーチキンは、特製タンドリー窯で焼き上げることで、外はパリッと香ばしく、中はジューシーな仕上がりに。カレーやナンとの相性も抜群で、多くのお客様にご好評いただいています。
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Café De La Diosaは、ネイルサロンやスクールのお客様、そして地域の方々の支えによって生まれました。初めて日本の地に立ったとき、私は言葉も文化も知らない外国人でしたが、皆様の温かな受け入れと励ましが、今日の私を支えています。その感謝の気持ちは、Café De La Diosaの根幹を成すものです。
お客様が「美味しかった」「また来たい」と言ってくださるその一言が、私にとって何よりの喜びです。お食事を通じて、お客様に笑顔と元気をお届けし、特別なひとときを共有できることを心から嬉しく思っています。
Café De La Diosaは、美味しい料理を楽しむだけの場所ではありません。心地よい空間で癒しの時間を提供し、日常の中で自分を労る特別なひとときを感じていただけるよう心がけています。お客様がここで過ごす時間を「小さなご褒美」として楽しんでいただけることが、私たちの願いです。
さらに、地域やお客様とのつながりを大切にしながら、カレー店を通じて異なる文化が交わる架け橋となることを目指しています。私のカレーは、ただの一皿ではなく、これまでの経験や感謝の気持ちが詰まった「特別な一皿」です。
どうぞ、Café De La Diosaで心と体を満たす特別な時間をお楽しみください。手作りにこだわったヨーグルトやドレッシングもぜひお試しください。これからもお客様に愛される店作りに励んでまいります。
ネイルサロンでのサポート
私、KALONはDiosaNailでドリンクのご提供を担当しています。お客様がリラックスして施術を受けていただけるよう、心を込めてお飲み物をお出ししています。また、毎月お客様のお顔を見られることも、私にとって大きな楽しみの一つです。
サロンでのひとときが特別な時間となるよう、静かに心を込めてサポートさせていただきます。DiosaNailでお会いできるのを心より楽しみにしております。
The Story of My Life

私、KALONはネパール、ゴルコットの田舎出身です。子供の頃は山々に囲まれた自然豊かな環境で育ち、母の畑仕事を手伝い、周囲の美しい風景と豊かな自然を日々感じながら育ちました。私の祖父が日本で捕虜として過ごした第二次世界大戦の話をよく聞かせてくれました。祖父の話から、苦労の中でも優しさを見せてくれた日本人に対する敬意や広島での原爆の話など、日本の物語に私は深く引き込まれました。その時から、私の心の中には日本へ行くという夢が生まれました。
ネパールの美しい山間部、ゴルコット出身です。子供の頃は、母とともに畑の仕事に励み、自然豊かな環境の中で育ちました。その経験から、麦や多様な花々への愛着が生まれ、その情熱は今も色あせることはありません。私の家族の中には、日本と深いつながりを持つ人物もいます。 それは私の祖父で、彼は第二次世界大戦中に4年間、捕虜として日本に滞在していました。もう生きて帰る事は出来ないだろうと思っていたところ終戦し母国にやっとの思いで帰国出来たそうです。日本に捕虜として居た4年間は、ご飯は殆ど貰えずお風呂も半年に一度しか入れなかったなど悲惨な話も沢山聞きましたが中には優しい日本人も居るんだと祖父はよく話してくれました。広島原爆の話など子供の頃祖父に沢山当時の話を聞いていました。何故か私は日本に興味持ち一度広島に行ってみたいなと思うようになり夢中になって祖父に日本に居た頃の話を沢山聞きました。大きくなったら何になる?と問われると日本に行く!と即答していた 事をよく覚えています。子供の頃母国ネパールでたまにエベレスト登山に来た日本人を見たときはWow Japanese!!と憧れていました。
日本に行くためには学生ビザを取得するか、技能ビザを取得して仕事をするか、これらが私の選択肢でした。夢は日本に足を踏み入れることでした。その夢を叶えるために、私は技能ビザの取得に向けて道を切り開くことを決意しました。
日本への道は容易ではありませんでした。技能ビザでの移住を選択するために、私はネパールとインドでインド料理の修行を積みました。子供の頃からの夢を叶えるため、私はインドの大きなホテルで働き始めました。初めの数年間は見習いとして、給料は一切もらえず、厳しい環境でした。その中で出会った同僚がいました。彼とは同じ部屋に住みすぐに友人となり、同じ目標を持つことで深い絆で結ばれました。それは日本へ移住してシェフとしてのキャリアを築くという事でした。彼はホテルを出たら婚約者がいて結婚をして日本へ行くのだとよく私に話していました。
しかし、ある日、突然の悲劇が訪れました。彼が換気扇の掃除を任された時のことです。いつもなら電源は落とされ、長靴を履いたまま掃除をしていたはずでしたが、その日に限って彼は長靴を脱ぎ、電源が確認されないまま作業をしてしまったのです。
作業中、彼は感電してしまいました。換気扇に張り付いたまま動かなくなった彼の姿を見た私たちは、恐怖と動揺に打ちのめされながらも、キッチンスタッフと共に必死で彼を助け出しました。奇跡的に彼は意識を取り戻し、弱々しく「大丈夫だ」と言いました。しかし、病院へ向かう途中で彼は息を引き取ってしまったのです。
「あの時、長靴を履いていたら…」「電源を確認していれば…」
後悔の念が胸を締めつけました。
彼の未完の夢、そして私たちが共有していた未来は一瞬にして絶たれたのです。彼はまだ18歳でした。その時の悲しみは、今でも胸に鮮烈に残っています。
その後、私は彼と共有した夢を実現するため、そして彼の遺志を継ぐために10年間、一生懸命に働きました。結果として、シェフのライセンスを取得し、今は日本でインドカレー店のシェフとして働けるようになったのです。毎日の料理には、彼の夢と私たちが共有していた思い出が深く刻まれています。

初めて日本に降り立ったとき、新しい環境と文化に興奮しました。停電が日常の一部であったネパールとは対照的に、日本は夜でも明るく、全てが便利に感じられました。その後、東京と横浜のインド料理店で6年間働き、豊かな経験を積みました。
ついにネパールから日本へ行くことが決まり、夢が現実となりました。 しかし、ビザ取得後には日本での就職先を見つける必要がありました。 祖父がかつて捕虜として日本にいた経験もあり、家族は大反対でしたしかし、私は日本で自分のお店を持つという夢を胸に、家族の反対を押し切り日本へ渡りました。初めて日本の地を踏みしめた時、私は興奮と感動でいっぱいでした。 飛行機から見た広大な海に心が揺れさられ、「Wow!」と声をあげました。初めて日本の地を踏んだ時、私は興奮と感動で胸がいっぱいでした。飛行機から見た広大な海に心を奪われ、思わず「Wow!」と声をあげたことを今でも覚えています。
さらに、初めて電車に乗った時のことも忘れられません。ネパールでは見たことのない便利な乗り物に驚き、興奮しました。座っていた日本人が「蒲田~蒲田~」というアナウンスを聞いた途端に飛び起き、電車から急いで降りていく光景 は、まさに日本人の忙しさを象徴する一幕でした。
そして、私が最も驚いたのは、自動販売機です。ネパールには存在しないシステムで、初めて同僚にジュースを買ってもらった時、ボタンを押すだけでジュースが出てくることに驚きました。それ以上に感動したのは、誰もそれを壊さないという日本の安全性でした。
母国では停電が当たり前の生活とは異なり、日本では夜でも街全体が明るく、すべてが便利に整備されていました。そんな環境に、私は「本当に自分が日本にいるのだろうか」と驚きつつ、毎日が夢のように感じられたのです。その後、私は東京と横浜のインドカレー店で約6年間働き、少しずつ日本での生活と仕事に馴染んでいきました。毎日が新しい発見と学びの連続であり、日本での経験すべてが私にとってかけがえのない宝物になっていきました。
初めて日本に降り立ったとき、新しい環境と文化に興奮しました。停電が日常の一部であったネパールとは対照的に、日本は夜でも明るく、全てが便利に感じられました。その後、東京と横浜のインド料理店で6年間働き、豊かな経験を積みました。
しかし、母国ネパールも私にとって特別な場所であり、いつかネパールに戻り、そこで余生を過ごすことを夢見ています。しかし、その夢はネパールの地震災害と貧富の格差により、達成が難しくなっています。それでも私はネパールの子供たちが教育を受け、夢を追い求めることができる未来を願っています。
私の母国ネパールは、世界的には「貧しい国」と見られることが多いですが、実際には豊かな自然と美しい湖が数多く存在します。海はありませんが、私たちの誇りであるエベレストがそびえ立っています。私は母国を大切に思い、いつか年を取った時には、そこで穏やかに暮らしたいと願っています。
しかし、現実は厳しいものでした。東日本大震災後、ネパールでも大きな地震災害が発生し、多くの人々が被災しました。震災の数年後に帰国した際、私は少しの寄付をすることしかできず、復興の遅れた状況に胸が痛みました。
私の国では、今でも道路がすべて舗装されておらず、震災で壊れた建物が復旧していない場所も多くあります。さらに、貧富の差が激しく、教育を受けられない子供たちが数多く存在しています。5歳未満の子供たちが物売りをしていたり、ホームレスとして暮らす姿を見るたび、貧困が差別を生み、差別がさらなる貧困を招く負のサイクルを痛感します。そんな厳しい環境の中、私の母は農家として働き、そこで得たわずかなお金で子供たちのためにバス停を作ったり、食べるものがない子供たちに料理をふるまうことをよくしていました。母は決して裕福ではありませんでしたが、その姿は私に「誰かの力になりたい」という強い気持ちを抱かせてくれました。
数十年後、ネパールが日本のように学校や保護施設が充実し、子供たちが教育を受けられる国になることを心から願っています。
知らず知らずのうちに、日本へ来てから7年が経ちました。そして私は、自分のお店を持つことを決意しました。それは、母国ネパールに児童施設を建てるという新たな夢への一歩です。
私の小さな一歩が、未来の子供たちの希望となるように。
その思いを胸に、私は日々努力し続けています。

私の日本での初仕事は知人の紹介で見つけたもので、最初の1年以上は給料から生活費を引かれ、手元に残るものはほとんどありませんでした。初めて給料を手にした時、その全額を家族に送りました。彼らの喜びを見て、私は自分が家族の生活を支える存在であることを強く感じました。
そこで、より良い生活を送るために自分のお店を開くことを決意しました。その夢を追い求め、母の田畑を売って資金を得ました。しかし、言葉の壁と経営経験の不足から、お店は2年で廃業の危機に陥りました。
その結果、私と家族との関係は疎遠になりました。最悪の事態は、母が癌と診断された時で、治療費を支えることができませんでした。私が追い求めていた夢が逆に家族との関係を壊し、私は深い後悔と絶望に苦しんだ日々を過ごしました。
私の日本での初めての仕事は、知人の紹介で見つけたもので、住み込みで働いていたため、1年以上は生活費を引かれ給料が手元に残ることはありませんでした。初めてもらった8万円の給料は、その全額を家族に送りました。その喜びを見て、私自身もさらに頑張ろうという気持ちが湧きました。
以降は毎月、自分用に1万円だけ使い、残りを全て家族に送金していました。この金額は当時のネパールでは1年分の給料に相当するものでした。ある日、私は貯めたお金で弟にバイクを買ってあげることができました。彼がそのバイクに乗って喜ぶ写真を送ってくれたのを今でもはっきりと覚えています。
日本に来てから7年目、自分のお店を持てば家族にもっと仕送りができると考え、お店を持つことを目指しました。母は田畑で働き、少しずつお金を貯めて私が日本に来るための資金を作ってくれました。その恩を返したい、母を楽にさせたいと思い、大きな夢と期待をのせて、耐えて貯めてきたお金を全て使い、母の大切なの田畑を売り、更に親戚から借金をして、友人と一緒に横浜でお店を開きました。その店を開くための資金はネパールでの家族の数年間の生活費に相当する大きな金額でした。
しかし、その時私は日本語を一切話すことができず、母国語、ヒンディー語と英語しか使えませんでした。そのため、お客様とコミュニケーションを取ることはもちろん、経営自体も初めてのことでした。結果として、お店は思うように運営できず、開店からわずか2年で廃業寸前となってしまいました。
資金が尽きるとスタッフ間の関係も悪化し、家族にお金を送ることもできなくなりました。毎日のように家族と電話で話す日常が途絶え、彼らとの関係も疎遠になってしまいました。家族のためだと思って始めた事業が、逆に家族との関係を壊してしまう結果となり、私は非常に辛い思いをしました。
そして、その困難な時期に、大切な母が癌であるという悲しい知らせを受け取りました。治療費を工面したくても何も出来ず、母の病状は急速に悪化していきました。その時、「お店をやらなかったら直ぐに帰る事が出来たのに…」
「お店をやらなかったら少しでもお金を送る事が出来たのに」と、後悔の念に苛まれた日々が続きました。
思わぬ出会いが私の人生を変えました。困難な時期に訪れた私の店に現在の社長を含む一群のネイルの先生達が訪れ、彼らのサポートに助けられました。コミュニケーションを通じて友情が深まり、彼らとの関係は私にとって大切なものとなりました。お店の廃業後、住む場所もなくなり、母のことを心配していた私に対し、社長は群馬で再び店を持つ機会を提案しました。私は感謝の気持ちを抱き、彼女への恩返しを誓いました。これが私の現在の職場につながる道のりであり、人生の転機でした。
その困難な時期に、私は仕事帰りに偶然私の店に来た一群の人々と出会いました。その中には、当時ネイリスト検定の試験官で東京に来ていた、現在の当社の社長もいました。彼女らは黒のスーツを着ており、一見すると仕事の人たちだろうという印象を受けました。彼女らの中には少し怖そうで派手な人もいて、その異彩を放っていました。その中に英語を話す神奈川の先生がおり、私たちは彼女とコミュニケーションをとることができました。彼女らがネイルの先生達だと知り、すごい人たちだなと感じながらも、話してみるとフランクでとても面白い人たちでした。
その後も、神奈川の先生は時折私の店に来てくれ、廃業寸前だった私たちにとっては本当に救いでした。ある時、チラシ配りをしていたところに偶然に再び彼女らと再会し、彼女らから「あっ、あの時のカレー屋さん!」と声をかけられ、一緒に夕食に誘われました。その夕食の席で、私は現在の社長と話す機会を持ちました。彼女は全く日本語が分からない私に対して、携帯の翻訳アプリや片言の日本語を使って一生懸命に話しかけてくれました。
社長から「私も英語を勉強したい!」と言われ、私が提案した「メールで少しずつ覚えたらどうか」という方法で、私たちは英語の学習を始めました。彼女からの初めてのメールは文法もばらばらで、私はなかなか返答に困りましたが、徐々に理解できるようになってきました。それからは、彼女が神奈川に来る時に時間が合えば、お店が終わった後に会うようになりました。
彼女の同僚である先生が英語を話すことができたので、彼女に翻訳してもらいながら、私たちは仕事や私の生い立ち、さらには母の病気の事について話すようになりました。彼女らは親身になって話を聞いてくれる優しい人たちでした。彼女らは何とかサポートしたいという意思を見せてくれ、お店に来たり、話を聞いてくれました。その結果、私は自分にとっての相談役や大切な友人を得ることができました。
しかし、残念なことに店は経営が難しくなり、結局廃業することとなりました。私は住む場所もなくなり、母の事.将来の事が心配でたまらず日本語が話せないにもかかわらず、社長に連絡を取りました。それに対し、社長から思いがけない提案を受けました。「もし、私のお店で本気でやるなら、試してみる?」と。
この提案に私は驚き、そして喜びました。これが群馬で再び店を持つチャンスだと気づきました。私は彼女に対して心からの感謝を感じ、絶対に恩返しをすると心に誓いました。これが私が現在の職場につながる道のりであり、人生における大切な転機でした。

私はスーツケース一つを携えて群馬に引越し、初めての新幹線の体験と新たな生活を始めました。群馬の自然は私を落ち着かせ、仕事での困難に耐える力を与えました。私はネイルサロンのシステムや、カレーのコスト計算、売上のまとめ方を学びました。しかし、この新しい環境と日本の生活リズムに適応するのは大変でした。私の目標はサロンで飲食を提供することでしたが、その場所では許可されませんでした。それにもかかわらず、毎日新たなことを学び、新たな挑戦に立ち向かい続けることの大切さを学びました。
スーツケース一つを携えて群馬に引越しすることになりました。それは私にとって初めての新幹線の体験で、その速さと軌道の独特な感覚に驚きました。新幹線から降り、高崎で社長と出会い、新たな生活が始まりました。横浜とは異なり、群馬の町を車で過ぎるとすぐに山が見え、その風景は私の心を落ち着けてくれました。私は群馬が好きです。忙しい時間や嫌なことがあると、田畑を見て心を落ち着けます。それは、私が子供の頃に母の田畑で働いた思い出を彷彿とさせます。また、静かで暮らしやすい環境も群馬の魅力の一つです。
群馬に来てまず私が学んだのは、社長から指導されたネイルサロンのシステムと、カレーのコスト計算、そして横浜での売上のまとめ方でした。全てが初めての経験で、特に休憩時間がないネイルサロンの生活は私にとって厳しかったです。私自身、昼休みに睡眠をとることが普通だったので、特に夕方になると眠気が来て床で寝てしまうこともあり良く怒られました。
日本の生活リズムに合わせるのは初めはとても大変でした。社長からマニキュアのサンプル作りも命じられ、小さな仕事で、雑になると怒られてしまうこともありました。また、コスト計算のためにネットで材料の価格を調べ、それを初めて触ったパソコンに入力するという仕事もありました。タイピングが上手だと褒められて嬉しかったものの、理解できない部分は予想で打ち込んでしまうことがあり、それがばれて怒られることもありました。
初めてのことばかりで、文化の違いや生活習慣の違いからくる困難もありましたが、母に再び店を持つ自分を見せたいという思いから必死に頑張りました。また、社長からお客様にドリンクを出すように指導されそれもまた新たな挑戦でした。私の顔を覚えてくださったお客様たちは、何もわからない私に優しく接してくれました。
仕事を少しずつ覚えながら、私はサロンで飲食を始めたいと不動産屋に伝えたところ、その場所では飲食の提供ができないと言われてしまいました。そこから再び不動産探しを始めることになり、挑戦の日々が続きました。
これらすべての経験を通じて、私は一日一日を大切に過ごすこと、新たなことを学び続けることの重要性を強く感じています。それはまさに、社長やお客様、そして群馬という新たな環境から学んだと思っています。
私の母は私が再び店を開くという決意を唯一応援してくれましたが、彼女の病状は次第に悪化しました。最も恐れていたその悪化の知らせが届き、社長の指示により、私はすぐに帰国しました。しかし、母は私が帰国後すぐに息を引き取りました。母の葬式の間、私は「もし母を日本に連れてきて治療させていたら」という思いを巡らせ、深い悔いに苦しみました。この困難な経験は、私が今後どのような選択をするかを再考させるきっかけとなりました。
私は母が大好きで母と話すと心が癒されました。そして私がもう一度店を開くという決意を、母だけが応援してくれていました。しかし、日に日に母の状態は悪化し、話す際に話の意味がつながらなくなることが増えていきました。そして意識を失うことも増え次から次へと困難が訪れる中、最も恐れていた知らせが届きました。
それは、母の病状が悪化しているというものでした。最後に電話で話したとき、脳への転移により母の話しがかみ合わなくなっていたことが心配の種でしたが、そのすぐ後のことでした。その知らせを聞いた社長は、直ちに「今すぐ帰国しなさい」と指示し、私はすぐに飛行機の手配をしました。それからすぐに帰国しましたが、母はその日の朝に亡くなってしまいました。最後に母を見たのは私でした。ネパールでは、葬式の儀式が2週間も続きます。その悲しみと辛さの中で、何度も自問自答しました。
「もし、母を一度でも日本に連れてきて治療させることができたなら…」、「もし日本で治療を受けさせていたら、今でも母は生きていたのだろうか…」、「あの時お金を送っていたら、母は助かっていたのだろうか…」と、思いを巡らせました。

私は母の死後、家族の反対を押し切り、再び日本に戻りました。カレーショップの開店準備は進行していましたが、不動産問題や店舗改装など、困難は次々と現れました。しかしながら、それに打ち勝ちオープンすることができました。しかし、新たな問題としてスタッフ間の誤解や生活習慣の違いなどが生じ、店は再び廃業の危機に直面しました。それでも社長の努力を見て、私は何とか店を続けようと決意しました。この経験は、頑張っても結果が出ない苦しみと自分の行動が他人に与える影響の大きさを痛感させました。
母が亡くなった後、日本に戻ることを応援する人は一人もいませんでした。それでも数か月後、私は亡くなった母に良い報告ができるよう、家族の反対を押し切って日本へ帰りました。私がいない間に、社長はカレーショップのオープニングに向けて一生懸命進めてくれていました。私自身も、何とか気持ちを切り替え、頑張らなければならないと感じました。
しかし、ここから先は困難の連続でした。不動産問題、店舗改装、その他あらゆる問題が次から次へと出てきて、スムーズに進展することはほとんどありませんでした。それでも何とかオープンまで辿り着くことができました。
しかし、オープンしてみると、隣国のインド人スタッフとのすれ違いや生活習慣、宗教上の問題など、さまざまなトラブルが発生しました。社長に対する恩返しの気持ちと、母への想いを胸に、どうにかして成功させたかったのですが、思うようにうまくいかなかったのです。私が計画書に出した誤算がこれほど大きな影響を及ぼすとは思っていませんでした。神奈川と群馬の違いを理解していなかった私の店は、オープンしてすぐに一度廃業寸前になった昔の自分の店と同じ状態になってしまいました。それでも何とか店を続けようと一人で朝から夜遅くまでネイルのお客様をこなす社長の姿を見て、私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。私が頑張ろうとしてもうまくいかず、みんなに迷惑をかけることが苦しかったのです。
私の経営する「ディオサ」は、清潔で美味しい食事を提供することを目指しています。私たちのカレーはただの食事ではなく、お客様の健康を考えたもの、自己へのご褒美として楽しむ特別な一品です。
手間を惜しまず、独自のレシピと調理法により、各料理は一皿一皿丹精込めて作られています。しかし、このこだわりが原因でスタッフ間には溝が生まれ、私は一人でカレーのスタッフを務めることになりました。それでも社長の励ましを受けて、美味しいカレーを提供し続けました。
「ディオサ」は元々ネイルサロンで、女性客が多いお店です。社長からは「何よりも、お客様へ清潔で美味しいものを提供することが最も重要だ」という教えを受けました。これは私の行動の指針となっています。私たちはスピーディーなサービスを提供する代わりに、料理に尽力し、贈る時間と手間を惜しみません。
私が考えるディオサのカレーは、ただの食事を超えたもの。それはお客様の健康を最優先に考えたもの、自己へのご褒美として楽しむ一品、そして何よりもディオサでしか味わえない特別なカレーです。それを実現するために、私は一皿一皿を丹精込めて作り上げます。数年をかけて独自に開発したレシピと調理法により、肉はすべて柔らかく、ナンは時間が経ってもふっくらとした食感を保つように工夫しています。
我が店のインドカレーは、各種類ごとにベースを一から作ります。新鮮な野菜と、インドから取り寄せた香り高いスパイスやハーブを使用し、その一つ一つの素材が活きるよう二日間じっくりと煮込みます。小麦粉などのつなぎは一切使用せず、素材そのものの味を引き立てることにこだわっています。また、新鮮さを追求するため、カレーベースは作り置きせず、お客様からのオーダーを受けてから調理します。その結果、スパイスの独特な香りが立ち、辛さもお客様のご要望に応じて調整できます。辛いものが苦手な方やお子様でも、安心してお召し上がりいただけます。私が調理するタンドリーチキンは、オーダーが入った後に自家製のヨーグルトでマリネしたチキンを特性のタンドリー窯で備長炭を使って焼き上げます。この丁寧な調理法により、外はパリッと内側はジューシーな仕上がりとなり、そのフレーバーは格別です。
しかし、私のこだわりとは裏腹に、スタッフ間には溝が生まれてしまいます。一般的なインドカレー店では、カレーベースは大きな鍋で大量に作り、タンドリーチキンも朝に焼いてしまいます。それを温めて出すだけです。私のやり方は、「早く提供することが基本」の業界の常識に反しているため、他のスタッフからは批判的な意見が出てきました。私はスタッフと何度も口論になり、言い争いを繰り返しました。しかし、社長は「そのやり方でいい。きっといつか理解してもらえる日が来るよ。今はお客様がゼロでも、美味しいカレーを提供してね」と励ましてくれました。不満を持ったスタッフは次々と退職し、私はカレーのスタッフとしてひとりになりました。

ディオサの店舗は、新型コロナウイルスのパンデミックの影響を強く受けました。店は一時的に閉鎖を余儀なくされ、売り上げも大幅に落ち込みました。この困難な状況の中で、私たちは新しいメニューの考案や店のコロナ対策の構築など、何とか対策を模索しました。店の再開にあたり、私たちはコロナ対策認定店となり、席数を半分に減らし、全席をゆったりとしたソファー席に変更しました。また、お客様からの励ましやSNSを通じた支援に応える形で、テイクアウト事業を始めるなど、新たな事業展開の道を開くきっかけを得ました。この試練は、新たな視点と学びを提供し、この困難な状況を乗り越える力となりました。
起業から約2年が経過した頃、私はカレースタッフとして店で自らのカレーレシピを研究し、社長と共に夜遅くまで、私たちの店独自の味を確立し始めました。その間、ネイルスクールからスタッフを引き抜くなどして、ネイルサロン部門は拡大していきました。
次第にお客様同士がお互いを紹介し、家族全員で店を利用してくださるようになりました。それに伴ってカレー店も更に利用客が増え、店の内装も少しずつ直しながら、お客様が喜んでくださる環境を作ることに努めました。亡き母に良い報告が出来る様になるのでは?家族にやっと仕送りを少しでもしてあげられるのではないかと思った矢先でした。
新型コロナウイルス感染症が世界中に広がり始めました。飲食店業界は大打撃を受け、私たちの店も例外ではありませんでした。初めての経験による恐怖と、対処法がわからない迷いの中で、私たちは日々を過ごしました。
その中で緊急事態宣言が発令され、人々が外に出歩かなくなった時、私たちの店は休業を余儀なくされました。その休業中、私はメニューの考案や店のコロナ対策の構築など、何とか出来ることを模索しました。
その一方で、この期間にネイルスタッフたちが独立したいという意思を示しました。当然、店が再び静けさを取り戻すことを懸念しましたが、一方で彼らにできるだけの支援を提供したいとも考えました。
その頃には新型コロナウイルスの感染が拡大し、私たちのカレー店も大打撃を受け、売り上げが一時的に大きく落ち込む事態となりました。未知のウイルスに対する恐怖と、具体的な対策が見つからない混乱の中、私たちは日々を過ごしました。できることと言えば、顧客が戻った際の店内の安全と清潔さを優先し、客席の配慮に力を入れることでした。
コロナウイルス感染症が蔓延し、お客様同士の距離や清潔感を心配される方が多いと思い、当店は美容サロンと飲食店共にコロナ対策認定店に認定を受けました。また、当店では全席の数を8テーブルから4テーブルに減らし間隔を開け、すべての席をゆったりとリラックスできるソファー席に変更しました。店内は清潔で可愛らしく、食材を扱うためのキッチンも徹底的に清潔に保ち、全席にアルコール消毒を設置しました。私たちはとにかく店内でできる対策を行いました。
そんな中、緊急事態宣言が発令され、人々が外出を自粛する中、ネイルのお客様たちは「ネイルはできないけど、大変だろうからカレーをテイクアウトしていくね!こんなに美味しいカレー屋さんがなくなるなんて嫌だから!」と、私たちを励ましてくれました。
さらに、SNSを通じても多くのお客様から励ましの言葉を頂きました。その結果、テイクアウト事業を開始するなど、これまでとは異なる形での事業展開を行うことで、新たな一歩を踏み出すきっかけとなりました。その時間は、お客様と共に成長するための貴重な時間となり、私自身にとって新たな視点と気づきを提供してくれました。
私はカレースタッフとして、そしてお客様と共に、この新型コロナウイルス感染症という困難な状況を乗り越えるために、様々な経験と学びを得ることができました。
新型コロナウイルスの流行は、私たちの飲食店とネイルサロンに深刻な影響を与えましたが、その危機の中から新たな可能性が生まれました。
社長の友人であるタイ古式マッサージとドライヘッドスパの先生から「ドライヘッドスパを新たに提供してはどうか」と提案を受けた社長は、すぐに新しい技術を学び、資格を取得しました。しかし、サービスを提供するタイミングがつかめず、私自身も力不足を痛感することとなりました。
そんな中、お客様やSNSから寄せられる温かい声援が私たちを支えてくれました。「このままではいけない」と強く感じた私は、自らもドライヘッドスパの技術を学ぶことを決意。さらにインドへ渡り、アーユルヴェーダの研修を受け、アーユルヴェーダ講師としての資格を取得することができたのです。
飲食店の再開と同時に、私たちは新たなサービスとしてドライヘッドスパとドライヘッドスパスクールの提供を始めました。この新しい挑戦は、お客様から大きな反響をいただき、私たちが新型コロナウイルスという困難を乗り越える力となりました。
この経験は、私たちの店が新たな段階へと進むための価値ある転機となったのです。
新型コロナウイルスが世界を襲い、日本でも緊急事態宣言や蔓延防止措置等が出され、飲食店での業務が困難になりました。ネイルサロンと飲食店を経営していた私は、客足が激減し、新しいスキルを身につけることを必要と感じていました。
そんな時、タイ政府認定のタイ古式マッサージやドライヘッドスパの資格を持つ社長の同期である先生から、驚くべき提案を受けました。先生は「飲食店は大変だろう。ドライヘッドスパをやってみない?」と提案してくれました。
その提案は、まさに救世主のような存在でした。ネイルサロンと飲食店共に客足が激減し、新しいスキルを身につけることを必要と感じていた私たちにとって、ドライヘッドスパはまさにぴったりのビジネスでした。
社長は直ちに行動を起こし、先生の元でドライヘッドスパの技術を学び始めました。新型コロナウイルスが拡大する中でも、社長は一心に練習を重ね、ついにはドライヘッドスパの資格を取得することができました。
しかし、その頃にはネイルサロンの客足が少しずつ戻り始めていたため、ドライヘッドスパのサービスを開始する機会は訪れませんでした。私はその姿を見て、何もできずにいる自分に対し、自己嫌悪の感情を抱きました。
社長がSNSを通じてドライヘッドスパの資格取得を公表したところ、「いつドライヘッドスパを始めるの?」という声が上がりました。特に一人のお客様からの、「ドライヘッドスパをKALONさんの優しい手で受けられたら素晴らしいだろう」という言葉は、私たちに新たな可能性を示してくれました。
その言葉に心打たれ、飲食店の夜の営業が厳しい状況にあった私たちは、社長と協力して再度ドライヘッドスパの先生に連絡を取り、私、KALONの指導を依頼しました。先生は快く私に対して親切に、私が理解できるまで丁寧に技術を教えてくれました。
そして、その研修を知った社長の友人であるネイル講師の仲間たちは、コロナウイルスの真っただ中でも、私たちをサポートするために、モデルとして私たちのもとへ足を運んでくれました。
その結果、日々の練習の末、私は自信を持ってドライヘッドスパの技術を磨くことができ日本でヘッドスパプロディージュの資格を得ることができました。さらに、飲食店が完全に再開する前に、私はインドへ渡り、アーユルヴェーダの講師としてさらなる知識を深める機会を得ました。
その後アーユルヴェーダ講師として日本に戻り、リラクゼーションを極めその経験を活かし、本場インド式ドライヘッドスパのDiosaDreamHead&Head SpaSchoolを設立しました。これらの経験から得られた知識と技術は私のキャリアにとって非常に価値あるものとなり、私が提供できるサービスのレベルを大幅に向上させることができました。
私は、ドライヘッドスパを通じて、お客様に心身ともにリラックスしていただける空間を提供したいと考えています。また、ドライヘッドスパの技術を多くの方に伝え、お客様の健康と美容に貢献したいと考えています。

新型コロナウイルスの影響で一度閉店を余儀なくされた私たちの飲食店、Café De La Diosaは、新たなステージとしてドライヘッドスパとの融合により復活しました。回復しつつある客足の中で、新たに習得したドライヘッドスパの技術を組み込むことで、美味しい料理と心地よいリラクゼーションの両方を提供する新しい形の飲食店を創り出すことができました。この結果、我々は飲食とスパの両方を提供することで、困難な状況を乗り越えることができました。
引き続き、我々は技術の向上に努め、お客様が心地よく過ごせる空間作りに取り組んでいます。食事を楽しみながら心地よいリラクゼーションを体験していただけるよう、我々の店を訪れるお客様一人一人を大切に思っています。さらに、私たちはドライヘッドスパスクールを設立しました。
新型コロナウイルスの影響で一度閉店を余儀なくされたCafé De La Diosaは、新たなステージとしてドライヘッドスパとの融合により復活しました。料理を楽しんでいただくだけでなく、リラクゼーションの時間も提供することで、心と体の両方を癒す、新しい形の飲食店へと生まれ変わったのです。
飲食店の再開とともに、私たちは新たに取得したドライヘッドスパの技術を取り入れ、お客様から多くのご好評をいただきました。美味しい料理と心地よいケアが一つの空間で提供されることで、困難な時期を乗り越え、再び活気を取り戻すことができました。
さらに私たちは、ドライヘッドスパの技術を多くの方に広めるため、Diosa Dream Head & Head Spa Schoolを設立しました。
当スクールでは、正しい技術の習得を通じて、リラクゼーションを追求する技術者の育成を目指しています。ドライヘッドスパは、頭皮をやさしくケアし、頭皮環境を整えリラックス効果を提供します。頭皮を優しくケアし、日々の疲れを癒すことでリフレッシュ効果が期待できます。
技術自体はシンプルですが、効果的な施術には正確な技術と知識が不可欠です。当スクールでは、教育と実践を組み合わせ、プロとしての技術力をしっかりと身につけていただける環境を提供しています。
DiosaDreamHead&Head SpaSchoolは、心身ともにリラクゼーションを追求し、新たな技術を学び、自己成長を遂げる場所となることを願っています。これからも、お客様と受講生一人一人のニーズに応じた最高の体験と学びの場を提供してまいります。あなたのご来店、ご参加を心からお待ちしております。
私は、美味しい料理だけでなく、心地よいリラクゼーションも提供する講師として新たな形の飲食店として、再び多くのお客様に支えられ、活気を取り戻すことができました。そんな中、提供するドライヘッドスパも多くの方々から好評いただき、新たなステージに立つことができました。
これからもKALONは技術の向上と共に、お客様が心地よく過ごせる空間作りに努めて参ります。私たちの飲食店で美味しい料理を楽しんだ後は、ぜひドライヘッドスパで日々の疲れを癒していただきたいと思います。
私たちは皆様がくつろげる空間を提供するために、日々努力しています。この先も、私たちの店を訪れたお客様が、食事と共に心地よい時間を過ごせることを願っています。
MY WISH

<麗奈>
おそらく、多くの方が「どのネイルサロンも同じ」「どのリラクゼーションサロンも同じ」「どのインドカレー店も同じ」「どのスクールも同じ」と思われるかもしれません。しかし、Diosaはそのどれとも異なります。私たちは、お客様と生徒一人ひとりに特別な時間を提供するため、他にはないサービスと価値を追求し続けています。
Diosaは、「美しさ、健康、癒し、そして喜び」をテーマに、4つの異なる部門が連携しながら成長してきました。ネイルサロン、ビューティースクール、インドカレー店、そしてドライヘッドスパ。それぞれの部門が独自の価値を持ちながら、共通するのは「お客様や生徒一人ひとりの人生をより豊かにしたい」という想いです。Diosaでは、お客様一人ひとりのストーリーに耳を傾け、その願いを叶えるために全力を尽くしています。
ネイルはDiosaの原点であり、私たちの根幹を成すサービスです。ただ爪を美しく彩るだけでなく、健康的な爪を守るためのケアを重視し、お客様に寄り添った施術を心がけています。一人ひとりの好みやライフスタイルに合ったデザインを提案し、自信を持って毎日を楽しむお手伝いをしています。ネイルケアを通じて、心が豊かになる時間をお届けする。それがDiosaNailの想いです。

Café De La Diosaでは、ただお腹を満たすための食事ではなく、美と健康をサポートするための一皿を提供しています。厳選された新鮮な食材を使用し、手間を惜しまずに調理することで、Diosaでしか味わえない特別なカレーをお届けしています。食事を通じてお客様の心と体を癒し、笑顔になっていただくことが私たちの何よりの喜びです。日々、お客様の楽しそうな表情やお声を励みに、より美味しい料理を提供し続けていこうとおもっています。
新型コロナウイルスの影響で困難に直面した時期に、新たな可能性として始めたのがDiosaDreamHeadのドライヘッドスパでした。インドで学んだアーユルヴェーダと日本で培った技術を融合させた独自のリラクゼーションは、ストレスや疲労を和らげ、心身のバランスを整えるものです。この技術は、お客様だけでなく、学びを希望する生徒にも提供し、さらに多くの人々の生活を豊かにすることを目指しています。
Diosaのすべてのサービスに共通するのは、「お客様一人ひとりの人生をより豊かで、幸せなものにしたい」という想いです。ネイルで手元を彩り、スクールで新たな道を切り開き、カレーで体を健康に保ち、ドライヘッドスパで心と体を癒す。それぞれの部門が異なる役割を担いながらも、お客様や生徒を笑顔にするという共通の目的のもとで運営されています。お客様や生徒が笑顔になる瞬間こそが、私たちが存在する理由であり、何よりの誇りです。
お客様や生徒とのつながりから生まれる感謝と喜びが、私たちの成長の原動力です。お客様からの「ありがとう」という言葉や笑顔が、私たちの何よりの励みです。私たちのサービスを通じて、お客様が毎日をより美しく、より豊かに、そしてより幸せに過ごせることを願っています。お客様が時間とお金をDiosaに投資してくださる分、価値あるものを提供する責任が私たちにはあると感じています。私たちはお客様がDiosaに来てよかったと感じていただけるよう、美と健康を引き出すためのさまざまな方法を提供し続けていきたいと思っています。 私たちDiosaは、美しさ、健康、癒し、そして喜びを提供することを使命とし、お客様と共に成長していくことを目指しています。4つの部門それぞれが、お客様一人ひとりの人生に寄り添い、特別な価値をお届けするために存在しています。これからも、お客様と共により豊かで幸せな未来を築いていけることを心から願っています。

<Kalon>
Diosaは、「美しさ、健康、癒し、そして喜び」をテーマに、4つの異なる部門が連携しながら成長してきました。私は、Café De La Diosaのシェフとして、またDiosaDreamHead&DryHead Spa Schoolのセラピスト講師として、心を込めたサービスをお届けしています。一方で、ネイルサロンではドリンク提供という小さな役割を担いながら、お客様との交流を大切にしています。
私がこの地でカレーを作り、ヘッドスパを提供しながら過ごせるのは、全てお客様の温かい支持と応援のおかげです。この国に初めて足を踏み入れた時、言葉も文化も分からなかった私を、皆様は受け入れ、支えてくださいました。その感謝の気持ちは、私が提供するすべてのサービスに込められています。
Café De La DiosaやDiosaDreamHeadを訪れるお客様が、美味しい料理や癒しの時間を楽しむ姿を見るたび、私はこの場所で働ける幸せを感じます。また、ネイルサロンでドリンクを提供する際にいただく「ありがとう」という言葉が、私にとっての励みです。小さな役割ではありますが、私もDiosaの一員としてお客様の笑顔に貢献できることを誇りに思っています。
ネイルサロンでは私が直接施術を行うことはありませんが、ドリンク提供を通じてお客様と触れ合い、その笑顔を見ることでDiosaNailの温かい空間を感じています。このサロンが持つ「お客様に寄り添う」という精神を、私も大切にしています。
私が担当するCafé De La Diosaでは、ただお腹を満たすだけでなく、美と健康をサポートする一皿をお届けすることを目指しています。新鮮な食材を厳選し、丁寧に作り上げたカレーは、お客様の日常に特別な時間を提供するためのものです。お客様の「美味しかった」という一言が、私の何よりの喜びです。
新型コロナウイルスの困難を乗り越える中で生まれたDiosaDreamHeadは、インドで学んだアーユルヴェーダの知識と日本で培った技術を融合したリラクゼーション体験を提供しています。ストレスや疲労から解放されることで、心身のバランスを整え、お客様が少しでも元気になれるよう尽力しています。
スクールでは、私の知識や技術を生徒に伝えることで、彼らが新しい道を切り開くお手伝いをしています。生徒一人ひとりが技術を活かし、自分らしい未来を築けるようサポートすることが私の使命です。
Diosa全体に共通するのは、「お客様や生徒一人ひとりの人生をより豊かに、より幸せにしたい」という想いです。カレーで体を癒し、ヘッドスパで心を癒し、ネイルサロンで自信を引き出し、スクールで新たな可能性を広げる。それぞれの部門が異なる役割を担いながらも、お客様と生徒の笑顔を中心に運営されています。
これからも私は、お客様や生徒とのつながりを大切にし、Diosaを訪れる全ての方が「ここに来て良かった」と感じていただけるよう、努力を続けます。そして、私がDiosaで行う全ての活動が、お客様の生活に少しでもプラスの影響を与えることを願って日々努力し続けます。
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