

私の出身と私の人生
群馬県沼田市で育った私は、群馬と沖縄のミックスで、父は群馬出身、母は沖縄出身です。真逆の性格を持つ弟と共に育ち、小学校では弟を強くするために柔道クラブに参加し、負けず嫌いの性格が芽生えました。中学校に入るとバスケットボール部に入り、センターとして活躍。しかし、高校に入ると遊びに興じ、目指すものも見つからず、10代の間は自由気ままな生活を送りました。
20代に入ると改心し、今では結婚し、2人の子供とともに幸せな日々を送っています。現在はネイルサロン&ネイルスクールとインドカレー、ドライヘッドスパを経営し、挑戦的な人生を歩んでいます。
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群馬県沼田市の小学校、中学校に通いました。
父が群馬出身で母は沖縄出身で沖縄と群馬のミックスです。
母は沖縄出身なので外国人と日本人のミックスです。外国人の祖父が容易に発音できる名前にしたいという願いから私の名前は「レイナ」と名付けられたそうです。父は完全なる日本人だとは思うのですが、冬のソナタが大流行りしたときにヨン様そっくりと言われていたのでその頃よく父を富士様と呼んでいました。そして私には性格が真逆の弟が1人居ます。
私は背が大きくいつも背の順は一番後方、弟は前方。外遊びばかりしている私の真逆で弟はおままごと。冒険好きの私と真逆の安全圏で堅実な弟おっとりしている弟とは小さな頃から兄弟だとは思われることが少なかったと思います。
私と真逆の弟を強くしたいと、母が小学校で加入させた柔道クラブの試合で、弟が女の子に寝技をかけられ抵抗せずにあっさりと負けたのを見て、敵討ちだ!!と、何故か私も柔道クラブに入団し、初めての試合から中学校に入るまで優勝し続けていました。
きっとその頃から私は負けず嫌いの性格だったのでしょうか…弟に絶対権力を見せつけたかったのでしょうか初の県の大会でも出場したら2位。当時は将来柔らちゃんだね~なんて期待されていましたが、中学校からはあっさり柔道は辞め、バスケットボール部に入りました。背も大きく、今となっては信じられないほど運動神経も良く身軽な体型だったためセンターを務めていました。そして高校に入ると直ぐ遊び惚けるというだらけた生活をして、10代の間はやりたいことも見つからず夢も希望もないまま、バイトについてもすぐ辞めることを繰り返し自分勝手な生活を送っていましたが、20代で改心し現在は結婚して2人の子供と楽しく暮らしています。
現在はネイルサロン&ネイルスクールとインドカレー、ドライヘッドスパを経営し、常に挑戦的な人生を歩んでいます。

好きなこと 未知を追求する私の生き方
新しい経験と探求に生きがいを感じる私は、未知の世界を探ることに喜びを見出します。
仕事に一生懸命取り組むことはもちろん、その過程を楽しむことも私の性格の一部です。また、セミナーやビジネス動画を視聴して学ぶことも大好きで、自己成長を目指す日々を楽しんでいます。
普段は仕事に集中するためまとまった休みを取ることは少ないのですが、時間が確保できる時には海外一人旅を楽しんでいます。現地の人々のように生活し、その土地ならではの文化の違いを発見することで、新しい視点を得ることが私の旅の醍醐味です。旅の間、インターネット接続は公共のWi-Fiスポットのみを使用し、それ以外の時間は連絡を断ち、自分だけの時間を満喫します。異文化に触れ、新しい友人を作ることで、かけがえのない経験を得ています。
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新しい経験を探すのが大好きで、まだ体験したことのないことや訪れたことのない場所を発見するたびに、心が躍ります。私は仕事も好きですが、どちらかというと「頑張っている自分の姿」に満足感を覚えるのかもしれません。
また、働くことと学び続けることを心から楽しんでいます。これは単に仕事が好きというだけでなく、自分が努力し続けていることに誇りを感じるからだと思います。新たな知識を得るため、セミナーやビジネス系動画を視聴するのも私の好きな活動の一つです。
休みを取るときは普段の忙しさを補うように、まとまった時間を確保して海外旅行に出かけます。一人旅が多いのですが、旅先では現地に溶け込むことを心がけています。特定のWi-Fiを借りることはせず、公共の場でのみ携帯をチェック。それ以外の時間は完全にオフラインで、現地の人々のように旅を楽しみます。その土地の挨拶を学んで使うことで、新しい友人を作ることも欠かせません。
各国の文化の違いを発見し、それを楽しむことが、私が愛する活動の一つです。
私を支える小さな家族たち
私は動物たちとの出会いを通して人生を豊かにしています。お世話を必要とする動物たちを見つけると、自然とその動物たちを家族として迎え入れたいという気持ちになります。猫の小判ちゃん、痩せたチワワのチョコちゃん、子猫のウルちゃん、もう一匹のチワワのあさりちゃん、そして駐車場で見つけた仔猫のルクちゃん。資材場で生れたシュガーちゃんそれぞれが私の家族の一員となりました。また、動物たちが亡くなった時の悲しみも体験し、その感情が私の人生を深く豊かにしています。
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ペットショップなどで大きくなって家族が決まらない子を見かけると、「私が連れて帰らなきゃ」という気持ちに駆られてしまいます。動物全般が大好きで、抱っこしてしまうと「運命かも」と感じてしまう癖があるため、最近はなるべく行かないようにしています。
そんなある日、ある家で幸せそうに見える猫ちゃんに出会いました。飼い主さんは「もうこの子7歳なのよ。早くお嫁に出したいの~。予防接種も済んでいるし、ケージも一式お譲りするのに~」と話していました。その言葉を聞いた瞬間、「この子、幸せそうに見えるのに……本当は愛されていないのでは?」と胸が締め付けられる思いがしました。
当時、私はペット不可のマンションに住んでおり、主人に怒られるのも目に見えていましたが、「私が貰います!」と口にしてしまいました。雨の中、猫一式を抱えて帰りながら、「捨てられていた猫だから戻せない」と嘘をついたことを今でも覚えています。その猫は小判ちゃんと名付けられ、私の生活は大きく変わりました。小判ちゃんのお世話をするために引っ越しを決意し、新しい生活が始まりました。
その後も、運命的な出会いが続きました。栄養失調で痩せ細り、兄弟たちがすでに命を落とす中、たった1匹だけ生き残ったチワワのチョコちゃんを保護しました。そして、娘の親友の家で生まれた子猫を「抱いてしまった瞬間に運命」と感じ、連れて帰ってきました。その子はウルちゃんと名付けられました。さらに、ペットショップで出会ったレッドホワイトのチワワは、「チョコちゃんが寂しそうだから」と迎え入れることにしました。それがあさりちゃんです。
しかし、悲しい日も訪れました。ウルちゃんは4歳で亡くなり、小判ちゃんも20歳という大往生を遂げました。その喪失の悲しみから、「もう新しい動物は迎えない」と固く決意しました。
それでも、数年後、また運命の出会いがやってきました。お店の駐車場で、怯えながら泣いている仔猫を見つけたのです。「お店の前まで来たら保護しよう」と自分に言い聞かせていましたが、スタッフのKALONさんがその子を保護し、結局そのまま家族に迎え入れることになりました。その子はルクちゃんと名付けられました。
さらにその後、チョコちゃんは家族に見守られながら15歳で天寿を全うしました。その頃、資材置き場で「子猫が生まれてしまって困っている」という話を聞き、どうしても放っておけず、その中の1匹を保護することにしました。その子はルクちゃんとまるで親子のように寄り添い合い、シュガーちゃんと名付けられました。
全ての子たちが私の癒しであり、原動力であることは間違いありません。一度は「もう悲しい思いはしたくない」と心に決めたこともありましたが、動物たちとの出会いが私に教えてくれたことがあります。それは「助けを必要としている命を見捨てないこと」。
現在は、保護活動に直接関わるだけでなく、募金などを通じて支援を続けています。これからも自分にできることを見つけながら、動物たちのために力を尽くしていきたいと思っています。





The Story of My Life

私の若い日々は、目的もなく遊びやアルバイトに明け暮れることで過ごしていました。しかし、20代に入ると、自分の能力を身につけなければならないと感じ始めました。そんな中、ネイルとメイクの通信教育の広告を見つけ、興味を持ちました。両親のアドバイスから、ネイルよりもメイクの専門学校へ進学し、美容部員として働き始めました。しかし、仕事の中心が販売に集中していることに疑問を感じ、またネイルケアの魅力に引き込まれました。そして、新たな家族が増え、将来への不安から、再びネイリストの道を志すことにしました。
勉強があまり好きではなく、努力というものを避けてきた学生時代。やりたいことも見つからず、ほとんど遊んで過ごしていました。ただ、遊ぶためのお金を稼ぐために始めたアルバイトで、初めて「努力した分の対価が返ってくる」ということを知った10代でした。
20代に差しかかる頃、学のなかった私は「このままではいけない」「何か手に職をつけなければ」と考えるようになりました。少し風変わりな性格だったこともあり、「もしかしたら結婚できないかもしれない。一生ひとりで生きていくかもしれない」と、漠然と将来への不安を感じるようになりました。「自分の力で食べていけるようにならなくては」と強く思い、仕事にするなら好きなことを選びたいと思ったのです。
そんな時、偶然目にしたのが通信制のネイルスクールの広告でした。同時に新聞で見つけたメイク専門学校の記事にも興味を持ち、両親に相談したところ、「ネイルで食べていくのは難しいよ。需要がないし……」と言われました。当時の群馬県にはネイルサロンがほとんどなかったこともあり、将来を見据えてメイクの道を選ぶことにしました。
メイクはもともと大好きでしたし、容姿にコンプレックスを抱いていた自分に「何か自信をつけたい」という思いもあり、メイク専門学校への進学を決意。卒業後は美容部員として働き始めました。スキンケアやお化粧でお客様に喜んでもらえることが嬉しく、やりがいを感じていましたが、仕事のメインは販売。次第に「何か違う」と感じるようになり、心にモヤモヤを抱えていました。
そんなある日、初めてネイルケアをしてもらった時、何も塗っていないのに自分の手が驚くほど綺麗になったことに感動しました。「これだ」と直感しました。その頃、子供が生まれたばかりだったこともあり、「もしも主人が先立ったら、私はこの子を不自由なく育てていけるのだろうか?」という強い不安に駆られました。
「やっぱり手に職をつけたい」。そう決意した私は、かつて一度諦めたネイリストをもう一度目指すことにしました。そして迷うことなくネイルスクールに電話をかけたのです。
私のネイリストへの道は、スクールでの検定試験から始まりました。締め切り間際に申し込み、たった一ヶ月半の間に試験に備えることになりました。合格率20%という難易度にも関わらず、猛練習の末、なんと一発で合格を果たしました。子供たちが寝静まった深夜に練習し続けたその努力が、私をネイルの世界の奥深さへと導き、さらに多くの資格取得と講師への道へと進むきっかけとなりました。
今ではできませんが、当時は「飛び級制度」があり、私は2級の試験からスタートしました。
私のネイリストへの道は、スクールでの検定試験から始まります。スクール入学時、先生から「来週が検定の申し込み締め切りです。試験日は1ヵ月半後ですが、受けますか?」と聞かれ、私は驚きました。
「え? たった1ヵ月半しかない! しかも当時の合格率は20%! 絶対無理だ…」と焦りながらも、勢いで受験を決意します。練習中、「まぁ、とりあえず受けてみようと思っています。今回は試験の様子を見学するつもりです」と先生に軽い気持ちで伝えると、先生からは「私は“とりあえず”教えていません」と厳しく一喝され、ハッと我に返りました。今思えば、「落ちても仕方ない」という防御線を張っていたのかもしれません。
そこから私の猛練習の日々が始まりました。まだ子供たちは小さく、私が練習できる時間は子供たちが寝静まった深夜だけ。夜な夜な手を動かし続け、先生の厳しい指導と、練習に付き合ってくれたモデルさんの協力のおかげで、ついに一発で検定に合格することができたのです。
この成功をきっかけに、私はネイルの奥深さに魅了され、さらに多くの資格を取得し、ついには講師の道へと進むことになりました。

美容部員を辞め、ネイルサロンで働き始めましたが、新人だったために生計を立てるのは困難でした。お客様にサービスを提供できるのはネイリスト1級を持っている者だけでした。私は1級を取得することを強く望んで挑戦しましたが、初回は不合格。その悔しさから毎日練習し続け、ついに次の試験で合格を果たし、サロンでお客様のネイルを手がけることができるようになりました。
ネイリスト検定2級を取得して数か月後、私は美容部員を辞め、当時まだ少なかったネイルサロンで働き始めました。しかし、新人ネイリストとしての給料はとても低く、サロン勤務だけでは生活できなかったため、週に数回、パチンコ店のコーヒーレディーとしてアルバイトをしながらネイルサロンに通う日々を送っていました。
当時、1級の資格を持っていないと、お客様に直接施術をすることは許されず、できる業務といえばオフ作業のみ。それ以外は、先輩の横で施術を見学したり、雑用をこなしたり、ひたすらネイルチップを作ったり、サロン内をホコリ一つないように綺麗に掃除することしかありませんでした。
働ける時間も限られており、歯がゆい思いでいっぱいでした。 「どうしてもお客様に触れたい!」 「1級を絶対に取りたい!」 そんな強い思いを胸に試験へ臨んだものの、2級を一発で合格した経験からか、どこかで「今回も受かるだろう」という余裕がありました。しかし結果は不合格。悔しさと絶望に打ちひしがれましたが、「絶対に合格する!」と決意を新たにしました。 それから私は、どれだけ疲れていても毎日1本は練習すると決め、アクリルの臭いで吐き気を感じるほど手を動かし続けました。
そして、迎えた次の試験 、ようやく1級に合格することができたのです。 お客様に直接触れる日が来た瞬間、これまでの努力が報われた気がしました。あの時の達成感と喜びは、今でも私の支えとなっています。
初めてのお客様に対応した日は記念すべき日でしたが、グラデーションの作業に苦戦し、納得のいく結果を出せませんでした。その経験から、講習を受け、資格を取得し、技術を磨き上げました。その結果、得意なメニューとしてグラデーションとスカルプチュアを挙げられるようになり、大型サロンの店長にまで昇進することができました。
初めてのお客様を担当した記念すべき日、私は期待と緊張の中で白のグラデーションの注文に取り組みました。今思えばただのグラデーション、しかし理想的な結果を出すのは難しく、オフもないオーダーに4時間もの時間を費やしてしまいました。完成した作品には私自身が納得できませんでした。グラデーションに何度挑戦しても理想通りにならず、焦る気持ちと裏腹に時間がどんどん経過していき焦れば焦るほどできなくなるそんな状況と気持ち、お客様の名前も鮮明に覚えています。
残念ながら、そのお客様と再会する機会は二度とありませんでした。この経験を反省材料に、私は多くの講習に参加し、自分のスキルを向上させるために資格を取得しました。失敗から学び、1級の試験練習の成果を活かし、私の得意なメニューがグラデーションとスカルプチュアになりました。そして、その努力が実り、大型サロンの店長へと昇進することができました。

忙しいサロンワークと家庭を両立させ、群馬と東京の間を往復しながら認定講師対策コースに通った私は、困難を乗り越えるために新たな友人との絆を深めました。多くの試練と失敗を経て、ついには認定講師試験に合格し、ネイル講師としての道を歩み始めました。これらの経験と人間関係は、私にとって一生の宝物となりました。
忙しいサロンワークと家庭を両立しながら、私は群馬のサロンで働きつつ、東京・表参道の認定スクール「認定講師対策コース」に通い始めました。
交通費とスクール代金は半年で100万円近くにのぼり、「働かなければ…」という焦りから、スクール後は終電の遅い上野でアルバイトをする日々。
朝6時に群馬を出発し、朝10時からスクール、その後アルバイト、終電で帰宅――睡眠時間はわずか3時間。疲れすぎて、群馬のサロン勤務の日に間違えて東京へ向かってしまい、お客様に怒られて菓子折りを持って謝りに行ったこともあります。
そんな忙しさの中、忘れられないエピソードがあります。
スクール代50万円近くが入った封筒をバッグに入れ、ネイル道具を別に持ちながら電車に乗ったある日、疲れて眠ってしまいました。外苑前のアナウンスで飛び起き、手にはネイル道具だけ――気づくと大切なバッグは電車の中に置き去りにされ、渋谷へ向かう姿を見送ることになったのです。「あーっ!」と叫んだ私の姿を見ていた隣の女性と目が合い、その方が終点・渋谷に連絡してくれたのでしょう。おかげで無事にバッグが届けられていました。あの時の女性には感謝してもしきれません。今でも「日本で本当に良かった」と思い返す出来事です。
こうした多忙な毎日の中で、子供たちには可哀そうな思いをさせたことを反省する気持ちもあります。しかし「あの時しかできなかったことだ」と、今振り返るたびに感じます。そして、この経験が宝物となったのは、資格取得だけではありません。ネイルスクールで出会い、一緒に勉強した友達の存在です。
みんなでコンテストに挑戦しては砕け、また挑戦。その繰り返しの中で絆を深め、ついには認定講師試験に合格。晴れてネイル講師としての道を歩み始めました。今でもあの頃と変わらず、大好きな仲間たちが私の一生の宝物です。
私は認定講師として多くの資格を持ち、多様なサロンで働き、海外コンテストにまで挑戦しました。しかし、自身が所属するネイルスクールでの生徒たちの困難を見て、更なる教育の必要性を感じました。その結果、自分自身が責任を持ち教えるネイルスクールと、顧客対応が可能なネイルサロンを立ち上げることを決意し、独立への道を歩み始めました。
その当時、認定講師の資格を取得している人はまだ少なく、私はすでに多くの資格を持っており、韓国のメーカーからは日本で僅か4人しかいないインストラクターの一人として任命されていました。時給も良く、非常に多忙な日々を送っていました。私が所属していることで、「認定講師が在籍し、指導しています」という宣伝が可能となり、これがサロンの強みとなりました。
さらに私自身は常に異なるサロンに出向いていたため、たまにしか会わないスタッフとも気軽に楽しく過ごすことができ、毎日新鮮な気持ちで仕事に取り組むことができました。特に責任を感じることなく、楽しく仕事ができたのです。当時の私は、海外のコンテストにまで出場するようになり、自由に時間を調整して様々なサロンで働いていました。
私が当時勤めていたネイルスクールでは、基本的には講師資格を持たないスタッフが生徒に指導をしており、私自身の授業は月に2回のみというシステムでした。そのため、なかなか試験に合格できない生徒が多く、同じコースを何度も受講する生徒とも頻繁に会う機会がありました。
私自身も同じ道を遠回りに歩んできた経験があるため、これらの生徒の苦悩を見るたびに心が痛みました。「もし私がこのスクールで全ての授業を受け持っていたならば生徒さん達はもっと早く試験に合格できたのだろうか?」と思うようになりました。そして、生徒たちが迷うことなく将来ネイリストになれるよう、私自身がきちんと責任を持って教え、生徒たちの未来をしっかりと背負わなければならないと感じるようになりました。
そうして生まれたのが、生徒たちが自信を持ってネイルを施すことができるネイルスクールと、お客様と向き合うことができるネイルサロンを作るという決断でした。そのために私は、当時勤めていた全てのサロンを退職し、独立の道へと進むことを決意しました。

独立は容易な選択ではなく、生活を賭けたリスクを含むものでした。美容業界のコミュニティの密接さを理解していたため、新しいサロンのオープンをお客様に告げる一言は重く、全ての行動が評価に影響を及ぼすことを理解していました。そんな中で、私は以前のサロンを去り、新たなサロンDiosaNail&Schoolを設立しました。
独立するという選択は、私にとって簡単ではありませんでした。現実の厳しさを考えれば、もし売上が出なければ生活すらできず、それは家族をも巻き込むリスクを伴います。そのため、独立には多くの悩みと葛藤が伴いました。
私は長年美容業界で働いてきた経験で美容業界は密接なコミュニティであることも理解していました。それはつまり、担当していたお客様に『新しくサロンをオープンします、ご来店ください』この一言を告げることの重さ、行動一つが退職後評価や評判につながるということ。私はお客様に退職のご挨拶だけして以前のサロンを退職し、新たな道へと踏み出しました。ここでDiosaNail&Schoolが誕生します。
個人事業主としてネイルサロンを立ち上げた私は、費用と道具を最小限に抑え、自力でホームページを立ち上げました。訪れるお客様が少ない初期の困難な時期を経て、サロンは徐々に成長しました。経営者としての挑戦と苦労を乗り越え、過去のお客様からの応援も得て、サロンは現在も前進し続けています。
初めてのステップは、個人事業主としてネイルサロンを立ち上げること。これはまさにゼロからのスタートで、新たな挑戦の始まりでした。事業の失敗リスクを軽減するため、最初は美容室の一角を歩合制で借り、そこでサンプル作りやカラーパレットの作成を夜遅くまで行いました。
費用を抑えるため、最低限必要なもの以外は新しく買わず、長年のネイル業界での経験から持っていた道具を利用しました。そのようにして、資金繰りを最小限に抑えて創業を果たしました。
その初期の段階では、ほとんどお客様は訪れず、絶望感が次第に私を襲い始めました。しかし、私はあきらめず、夜中までサンプルを作り、ブログを書き続けました。資金がない状態で、初めて自分でホームページを立ち上げました。この時間は出来ることをやる時間だと何度も自分に言い聞かせ数か月の苦闘の後、ようやくシンプルなホームページを立ち上げ、少しずつお客様が訪れるようになりました。
その後、美容室を出て、ネイルサロンとして本格的に独立しました。もちろん、経営は容易ではなく、苦しい日々が続きました。しかし、挑戦と成長の連続で、自分自身が立ち上げたビジネスを通じて、何度も新たな挑戦や困難に立ち向かえる強さを身につけられたのではないかと思います。今となっては苦難でしたがよい経験になったと思っています。
ある日以前働いていたサロンで担当していたお客様が私を探して来店してくださりました。とてもありがたいと思った瞬間でした。サロン勤務だったころと違い経営者となるとやはり売り上げばかりを考えてしまうようになってしまいがちで、今思うと当時は売り上げの数字を追うことで精いっぱいだったなと振り返ります。

お客様から頻繁にお土産を頂く事に驚きつつも、私は自身のサロンで深い絆をお客様と築き、お客様から学び、成長を支えられることを実感しました。これらの経験は、お客様がさらに喜ぶための新しいサービスを探求する次の挑戦へと繋がりました。
私のサロンに通うお客様の顔ぶれが徐々に定まってきた頃、あることに気づきました。それは、お客様が旅行先から戻ると、頻繁に私にお土産を持ってきてくれることです。
私はネイルのサービスを提供し、その対価として料金をいただく立場です。それにもかかわらず、なぜお客様が私にお土産をくれるのか、不思議な感覚がありました。
ある日、思い切って一人のお客様に尋ねてみました。
「私はネイルの施術をして料金をいただいているだけです。それなのに、なぜ私にお土産をくださるのですか? 友人やご家族もいらっしゃるでしょうに…」すると、そのお客様は優しく微笑みながらこう答えました。
「私がれいなさんにしてあげたいからです。」
その言葉を聞いた瞬間、心が温かくなりました。かつて大型サロンで働いていた頃は、目の前のお客様の顔さえほとんど見えず、まるでロボットのように施術をこなす日々でした。しかし、独立して自身のサロンを持ってからは、お客様と一人ひとり向き合い、自然と会話が生まれるようになりました。
お客様のプライベートな話を伺うこともあれば、逆に私自身の悩みや相談を打ち明けることもあります。友人でも家族でもない、けれども月に一度必ず会うお客様たち。そんな皆さんが、気づけば私にとってかけがえのない存在となっていました。毎月お会いできることが楽しみで、励まされ、支えられ、私自身が成長していることを実感するようになったのです。
この気づきに感謝しながら、私は「お客様がさらに喜んでくれることは何か?私が出来る事は何か?」を常に考えるようになりました。新しいサービスを模索し、挑戦し続けること 、それが私たちのサロンの成長の原動力となり、今に繋がっています。
私の日々は、試験官としての役割と教師の同期との再会が溶け合った貴重な時間を持つことになりました。試験日が生徒さんの大切な瞬間であり、同時に私自身の充実した時間でもありました。そして、神奈川の一軒のお店で偶然出会ったKalonさんとの出会いが、その時は予想もつかない新たな可能性とエネルギーを私のビジネスライフにもたらすことになりました。
私の日々は講師活動にも慣れ、時折開催される検定試験の試験官として活動することが増えました。これらの試験日には、各地から集まった認定講師が試験官として委嘱され試験官として仕事をします。この検定は、生徒さんたちにとって年間を通じての大切なイベントで自分の生徒さんが全力でこの試験の日の為に勉強し練習を重ね試験に挑みます。そして私にとっては、生徒さんの晴れ舞台でもあり一緒に勉強してきた同期の先生方と再会する、貴重な機会となっています。
試験終了後、体は疲れ果て、足は棒のようになるほど重たく感じますが、生徒さんの試験がひとまず無事に会えたことと、同期の先生方と会う事でその疲れも吹き飛びます。ディナーから始まり、遅くまで話し込んだり、一緒に飲んだりする時間はとても楽しく、疲れを忘れさせてくれます。笑い声と共感、それぞれの人生のエピソードで心地よい時間が過ぎ、その一瞬一瞬が新たなエネルギーとなって私に戻ってきます。
そしてある検定試験のその日、偶然立ち寄った神奈川の一軒のお店で、今のカレー店のシェフ、Kalonさんとの出会いがありました。その時はただの出会いに過ぎないと思っていましたが、この偶然が実は新たな扉を開くきっかけであり、私のビジネスライフに深い色彩と活力を注ぎ込むことになるとは、その瞬間はまだ全く想像もしませんでした。

私は検定試験の日にカレー店のオーナー、Kalonさんと出会い、彼のサービスや気遣いに感銘を受けました。英語を話せない彼とのコミュニケーションは始まりは難しかったものの、彼とのメール交換が私の英語学習の大きな支えとなりました。また、彼の店の経営難や母親の病気を知り、彼の想いを理解し、ビジネスについて話すきっかけにもなりました。
検定試験の日に立ち寄ったカレー店で、そのオーナーであるKalonさんと出会ったのです。初めて彼を見たときの印象は彼をモデルのような人物と感じ、彼の気遣いとサービスの良さに感銘を受けました。しかし、当時のKalonさんは日本語を全く話すことができなかったのです。
検定試験の日、立ち寄ったカレー店でオーナーのKalonさんと出会いました。彼の丁寧な接客や気遣いが印象的でしたが、当時のKalonさんは日本語が全く話せず、私自身も英語が苦手だったため、最初の会話はぎこちないものでした。
それでも、私が「英語を勉強したい」という気持ちと、Kalonさんが「日本語を学びたい」という想いが重なり、メールでのやり取りが始まりました。簡単な英語と日本語を交えながら、互いに助け合うメッセージ交換は、私にとっては英語学習の大きな支えとなり、Kalonさんにとっても日本語を学ぶ良い機会となったのです。
やがて、彼が抱えるお店の経営難やお母様の病気について知る機会がありました。お互いの言葉や文化を学び合う中で、自然とビジネスや人生について語り合う関係へと発展し、言葉の壁を越えた深い交流が生まれました。
Kalonさんとの出会いは、異文化コミュニケーションの大切さを教えてくれただけでなく、人とのつながりがもたらす学びと成長を実感する貴重な経験となりました。そして、カレー店とネイルサロンという異なる世界が出会い、今へと繋がる大きな一歩となったのです。※詳しくはインドカレー店のホームページへ
私は引き続きネイルサロンを運営し、Kalonさんには店のシステムを学んでもらいました。同時に、私たちは物件探しを続けていました。ある日、現在の物件を管理していた不動産屋の方が客として来店し、新たな物件を紹介してもらえることになりました。この物件は、現在の私たちの店舗となりました。
ネイルサロンは運営を続け、KALONさんにはネイルサロンのシステムを理解してもらうために、ドリンクの提供などを行ってもらいました。同時に私たちは新たな不動産を探し続けていました。
ある日、当時私が借りていた不動産を管理している不動産屋に勤めている方が、偶然私のサロンの客として訪れたのです。私たちの不動産探しの苦労話をその方に伝えたところ、その方は上司に相談してくださり、新たな物件を紹介してくれることになったのです。その紹介された物件が、今の私たちの店舗となりました。

店舗が決定し、私たちは保証協会に変更届を出し、銀行の決済を待ちました。未経験だった大規模な工事契約や不動産の取扱いに恐怖を感じながらも、前に進みました。しかし、工事は停滞し、膨大な請求が来ました。経験不足から不誠実な業者に騙される苦い経験をしました。これを機に強くなった気もしましたが、全てが負の方向に進んでいたように感じました。
店舗が決まったところで、ようやく保証協会に変更届を出すことができました。変更の書類を再度書き直し、銀行の決済を待ちました。決済が下りると、ようやく工事の日程が決まります。
未経験だった大規模な工事の契約や不動産の取り扱いにより、大きな金額が動くことが怖かった一方で、後戻りはできないと自分を励まし何とか前進し続けました。
工事は数多くの業者が出入りし、納期まであと1週間となったところで一度停止しました。業者側のダブルブッキングやスタッフ不足が原因で、私の会社の工事が後回しにされたのです。私は初めての経験で何もわからず、カレー店のスタッフ探しも同時に進行していましたが、これもうまく行かず、全てが一度停滞した状態になりました。
その後、やっつけ仕事のように工事が終わり、予定金額を何百万も超える請求が来ました。何も知らないで工事の業者を探し、今考えると無謀で、無知な行動は恐ろしいものだと感じます。本来ならば打ち合わせ段階でそういったことはあり得ないのですが、当時の無知で若かった私は不誠実な業者に騙されてしまったのです。最終的にまた騙されそうになった時、私は業者に対して「これまで我慢しましたが、女性だからと侮らないでください」という強い言葉を投げかけました。私はそのときの悔しさを鮮明に覚えています。
女性の起業はまだまだ確立されておらず、肩身の狭い思いをすることも多いです。私が以前学んだスクールの仲間も、講師や経営者として同じ思いをすることが少なくありません。今思えば、あの頃は全てが負の方向に進んでいたと感じます。
私の起業には、想像を超える借金が伴いましたが、それを乗り越えてCafé ‘DeLaDiosaが誕生しました。しかし、そこから待っていたのは、予想以上の困難でした。
文化の違いや言葉の壁から生じるスタッフとの摩擦、資金不足による広告の欠如、そしてお客様が集まらないという負のサイクル。さらには、スタッフの退職によってカレーの味が変わり、売上が落ち込んだ結果、借金はさらに膨らんでいきました。それでも、ネイルサロンのお客様たちが月に一度訪れ、未だ固有のレシピがない私のカレーを信じて購入してくれたのです。その時の感謝の気持ちは、今でも計り知れません。
自身の企業を立ち上げ、店を設立するにあたり、私はこれまで想像もつかないほどの借金を背負うこととなりました。何百万という単位では測れないほどの負債を背負い、独立当初の絶望を遥かに超える一歩間違えば深淵に落ちるという状況が目の前に広がっていました。それでも、なんとか店のオープンまで辿り着くことができました。
ここで新たなブランド本場インドカレーCafé‘DeLaDiosaが誕生します。
初めての外国人スタッフとの対面は、文化の違いや言葉の壁、私と彼らの常識の違いによる摩擦が生じました。彼らは日本人は裕福であり、何でも許し何でもしてくれるという固定観念を持っていたため、うまくいくはずもありませんでした。
オープンしても資金不足から広告を打つことができず、当然支払いも追いつかず、悪のサイクルが続きました。結果として、お店は殺風景な空っぽのカレー店となりました。スタッフ間の争いも頻発し、スタッフが辞めるたびに味が変わり、借金も増えていくという状況が続きました。
しかしながら、ネイルサロンのお客様たちは毎月私の店を訪れてくださいました。当時、私の店にはまだ固有のレシピもないにも関わらず、私を信じてカレーを買っていってくれたのです。そのことに対する感謝の気持ちは計り知れません。

起業から2年後、Café‘DeLaDiosaは独自のレシピを確立し、ネイルサロンも拡大しました。しかし、新型コロナウイルスのパンデミックが到来し、店舗は一時閉鎖を余儀なくされました。その中で、新しいメニューの開発や対策の導入を試み、ネイルスタッフの独立を支援することに決めました。一方で、お客様からの励ましを受け、テイクアウト事業を開始しました。これらの経験は、新たな視点と気づきを与え、私たちの成長を促しました。
起業から2年が経ち、Café ‘DeLaDiosaはKalonさんの努力によって独自のレシピを確立し始め、ネイルサロンもスクールの生徒たちがスタッフとして加わることで拡大を遂げていました。お客様同士が紹介し合い、家族全員で来店してくださる姿も増え、私たちは少しずつ店舗環境を整えながら進化していました。
しかし、その矢先、新型コロナウイルスのパンデミックが到来。飲食店業界は大打撃を受け、私たちの店も例外ではなく、緊急事態宣言により一時閉鎖を余儀なくされました。未知のウイルスに対する恐怖と、どう対処すれば良いのか分からない不安の中、休業中夜中までKalonさんと二人で新しいメニューを考案し、店舗のコロナ対策を進めるなど、できることを模索し続けました。
また、この時期にはネイルサロンのスタッフたちから独立したいという意思が示されました。最初は不安もありましたが、私は「この時期こそ準備に最適なチャンスだ」と捉え、彼女たちの独立を全面的に支援することを決意しました。当店のお客様を引き継いでもらうことで、彼女たちの新しい一歩を後押しし、補助金制度や銀行の紹介、ホットペッパーとの打ち合わせなど、可能な限りのサポートを行いました。
一方で、ネイルのお客様たちは私たちを励まし続けてくれました。
「ネイルはできないけれど、大変だろうからカレーをテイクアウトするね。こんなに美味しいカレー屋さんがなくなるなんて嫌だから!」
その言葉に救われ、私たちはテイクアウト事業を開始。SNSでも多くのお客様から励ましをいただき、苦しい状況の中で新たな事業展開の道が開けました。
この時間は、単なる生き残りのためではなく、お客様と共に成長し、支え合う大切さを改めて実感する貴重な経験でした。そして、未知の困難に立ち向かうことで、私たち自身も新たな視点と気づきを得ることができたのです。
新型コロナウイルスの影響でビジネスに困難が生じた時、私は同期の先生の助けを借りて、新しいスキルとしてドライヘッドスパを学びました。しかし、ビジネスの回復とともに時間がなくなりました。それでも、お客様からの励ましを受け、夜間時間帯に利用率が低いカレー店でのドライヘッドスパの提供を決意。KALONさんも専門家の指導を受け、資格を取得しました。その後、カレー店を一時的に休業し、私たちはインドでアーユルヴェーダを学び、新たなブランド、本場インド式ドライヘッドスパDiosaDreamHead&を立ち上げました。
新型コロナウイルスの影響でビジネスに困難が生じた時、同期の先生が飲食店の状況を心配し、新しいスキルとしてドライヘッドスパを教えてくれました。私はこの機会に学びを始めましたが、ビジネスが徐々に回復するにつれて、日々の業務に追われ、スパの提供時間を確保するのが難しくなりました。
そんな中、お客様からの温かい励ましが私の背中を押し、使われなくなっていた独立したスタッフが使用していた部屋を改装し、夜間に暇だったカレー店の時間帯を活用することを決意しました。さらに、Kalonさんも専門家の指導を受け、私と共に資格を取得し、新たな挑戦を始めることになったのです。
その後、さらなる技術向上と本格的な知識を求めて、私たちはカレー店を一時的に休業し、インドへと渡りました。そこで、伝統的なアーユルヴェーダの深い知識と技術を学び、本場インド式のドライヘッドスパを取り入れた新しいブランド――Diosa Dream Headを立ち上げました。
この挑戦は、飲食店やサロンという枠を超え、お客様に心からリラックスし、癒しを提供できる場所を作りたいという私たちの想いが形になった瞬間でした。
MY WISH

<麗奈>
おそらく、多くの方が「どのネイルサロンも同じ」「どのリラクゼーションサロンも同じ」「どのインドカレー店も同じ」「どのスクールも同じ」と思われるかもしれません。しかし、Diosaはそのどれとも異なります。私たちは、お客様と生徒一人ひとりに特別な時間を提供するため、他にはないサービスと価値を追求し続けています。
Diosaは、「美しさ、健康、癒し、そして喜び」をテーマに、4つの異なる部門が連携しながら成長してきました。ネイルサロン、ビューティースクール、インドカレー店、そしてドライヘッドスパ。それぞれの部門が独自の価値を持ちながら、共通するのは「お客様や生徒一人ひとりの人生をより豊かにしたい」という想いです。Diosaでは、お客様一人ひとりのストーリーに耳を傾け、その願いを叶えるために全力を尽くしています。
ネイルはDiosaの原点であり、私たちの根幹を成すサービスです。ただ爪を美しく彩るだけでなく、健康的な爪を守るためのケアを重視し、お客様に寄り添った施術を心がけています。一人ひとりの好みやライフスタイルに合ったデザインを提案し、自信を持って毎日を楽しむお手伝いをしています。ネイルケアを通じて、心が豊かになる時間をお届けする。それがDiosaNailの想いです。

Café De La Diosaでは、ただお腹を満たすための食事ではなく、美と健康をサポートするための一皿を提供しています。厳選された新鮮な食材を使用し、手間を惜しまずに調理することで、Diosaでしか味わえない特別なカレーをお届けしています。食事を通じてお客様の心と体を癒し、笑顔になっていただくことが私たちの何よりの喜びです。日々、お客様の楽しそうな表情やお声を励みに、より美味しい料理を提供し続けていこうとおもっています。
新型コロナウイルスの影響で困難に直面した時期に、新たな可能性として始めたのがDiosaDreamHeadのドライヘッドスパでした。インドで学んだアーユルヴェーダと日本で培った技術を融合させた独自のリラクゼーションは、ストレスや疲労を和らげ、心身のバランスを整えるものです。この技術は、お客様だけでなく、学びを希望する生徒にも提供し、さらに多くの人々の生活を豊かにすることを目指しています。
Diosaのすべてのサービスに共通するのは、「お客様一人ひとりの人生をより豊かで、幸せなものにしたい」という想いです。ネイルで手元を彩り、スクールで新たな道を切り開き、カレーで体を健康に保ち、ドライヘッドスパで心と体を癒す。それぞれの部門が異なる役割を担いながらも、お客様や生徒を笑顔にするという共通の目的のもとで運営されています。お客様や生徒が笑顔になる瞬間こそが、私たちが存在する理由であり、何よりの誇りです。
お客様や生徒とのつながりから生まれる感謝と喜びが、私たちの成長の原動力です。お客様からの「ありがとう」という言葉や笑顔が、私たちの何よりの励みです。私たちのサービスを通じて、お客様が毎日をより美しく、より豊かに、そしてより幸せに過ごせることを願っています。お客様が時間とお金をDiosaに投資してくださる分、価値あるものを提供する責任が私たちにはあると感じています。私たちはお客様がDiosaに来てよかったと感じていただけるよう、美と健康を引き出すためのさまざまな方法を提供し続けていきたいと思っています。 私たちDiosaは、美しさ、健康、癒し、そして喜びを提供することを使命とし、お客様と共に成長していくことを目指しています。4つの部門それぞれが、お客様一人ひとりの人生に寄り添い、特別な価値をお届けするために存在しています。これからも、お客様と共により豊かで幸せな未来を築いていけることを心から願っています。

<Kalon>
Diosaは、「美しさ、健康、癒し、そして喜び」をテーマに、4つの異なる部門が連携しながら成長してきました。私は、Café De La Diosaのシェフとして、またDiosaDreamHead&DryHead Spa Schoolのセラピスト講師として、心を込めたサービスをお届けしています。一方で、ネイルサロンではドリンク提供という小さな役割を担いながら、お客様との交流を大切にしています。
私がこの地でカレーを作り、ヘッドスパを提供しながら過ごせるのは、全てお客様の温かい支持と応援のおかげです。この国に初めて足を踏み入れた時、言葉も文化も分からなかった私を、皆様は受け入れ、支えてくださいました。その感謝の気持ちは、私が提供するすべてのサービスに込められています。
Café De La DiosaやDiosaDreamHeadを訪れるお客様が、美味しい料理や癒しの時間を楽しむ姿を見るたび、私はこの場所で働ける幸せを感じます。また、ネイルサロンでドリンクを提供する際にいただく「ありがとう」という言葉が、私にとっての励みです。小さな役割ではありますが、私もDiosaの一員としてお客様の笑顔に貢献できることを誇りに思っています。
ネイルサロンでは私が直接施術を行うことはありませんが、ドリンク提供を通じてお客様と触れ合い、その笑顔を見ることでDiosaNailの温かい空間を感じています。このサロンが持つ「お客様に寄り添う」という精神を、私も大切にしています。
私が担当するCafé De La Diosaでは、ただお腹を満たすだけでなく、美と健康をサポートする一皿をお届けすることを目指しています。新鮮な食材を厳選し、丁寧に作り上げたカレーは、お客様の日常に特別な時間を提供するためのものです。お客様の「美味しかった」という一言が、私の何よりの喜びです。
新型コロナウイルスの困難を乗り越える中で生まれたDiosaDreamHeadは、インドで学んだアーユルヴェーダの知識と日本で培った技術を融合したリラクゼーション体験を提供しています。ストレスや疲労から解放されることで、心身のバランスを整え、お客様が少しでも元気になれるよう尽力しています。
スクールでは、私の知識や技術を生徒に伝えることで、彼らが新しい道を切り開くお手伝いをしています。生徒一人ひとりが技術を活かし、自分らしい未来を築けるようサポートすることが私の使命です。
Diosa全体に共通するのは、「お客様や生徒一人ひとりの人生をより豊かに、より幸せにしたい」という想いです。カレーで体を癒し、ヘッドスパで心を癒し、ネイルサロンで自信を引き出し、スクールで新たな可能性を広げる。それぞれの部門が異なる役割を担いながらも、お客様と生徒の笑顔を中心に運営されています。
これからも私は、お客様や生徒とのつながりを大切にし、Diosaを訪れる全ての方が「ここに来て良かった」と感じていただけるよう、努力を続けます。そして、私がDiosaで行う全ての活動が、お客様の生活に少しでもプラスの影響を与えることを願って日々努力し続けます。
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